色々複雑な私

ヨシトミ疑惑

通院から帰宅し、日記を書き終えたら、頭痛が酷くなってきました。かなりきつかったので、お薬を飲んだのはもちろんなんですが、布団を敷いて、冷えピタ貼って、氷枕してダウンしていました。

脳天になにか突き刺さってるみたいな痛みで、右こめかみから後頭部にかけて痛い。

すっかり元気をなくしてしまい、転換は起きていないのだけど、発作が起きれば、家事をしなくてもいいっていう言い訳ができるのになぁ、とかずるいこと考えてた。
まぁ、そういう時にホイホイ発作起きてたら、そりゃ演技じゃ。

発作は起きることもなく、頭痛のみ。

やだよー夕飯の用意したくないよーって思いながら、思い切って、夫に頭が痛くて夕飯の用意が出来ないっていいました。何が出来ないの?お味噌汁作れないの?食器並べたりは?って聞かれて、何も出来ないって答えた。

そのまままたお布団に戻ってダウン。

夫の終業時間が来て、ご飯になったんだけど、やりたくない気持ちを殺して、ヘルパーさんの作ってくれた料理を温めたり、お皿を並べたりはしました。味噌汁が作れなかったので、娘に夫が頼むと中華スープを作ってくれました。

具合が悪くなると心細くなるので、夫にそばにいてほしくて、食後しばらくそばにいてもらいました。

3日間ぐらいシャワー生活をしていましたが、昨日はお風呂に入りました。すると頭痛解消。
緊張性頭痛だったのかな?冷やすんじゃなくて温める方だったみたい。
解離は冷やすと楽になるんだけどね。区別がつかなくて、いつもどおり冷やしてた。

頭痛が治ったので、大好きなお酒を飲んで、逃げ恥をわーきゃーいいながら娘と見て、23時に寝ようとしました。
ところが、そこから録画してあった、科捜研の女を見たいと娘がいい出して、娘視聴。私半分寝てた。

0時に就寝。
リスペリドンは、0.5mlもMEEKにしてもらったので、ヨシトミ疑惑がどうなるかな?って思いつつ飲んだ。
量が増えて眠りの質が悪くなるなんて、絶対おかしくて、そしたら、リスペリドンの質も問題じゃないかなって予想していた。MEEKは実績があるから、信頼してて、味もいいし、先週薬局さんに頼んで、入れておいてもらってた。

0.5、1、2ml全部持ってて、私の家、リスペリドンMEEKで溢れてるんだけどw
もはやコレクターよね。

今朝は6時過ぎに起床。中途覚醒全くなし。

ほらね、ヨシトミが合ってなかったんだ。

今朝は、食欲がなかったので、ヨーグルトを朝食にしました。

今朝の転換

朝食を終えて、まだ布団が敷いたままの状態の居間に行くと、だるくなってきて、そのままお布団に寝転んだ。
だんだん力が抜けてきて、体が重くなってくる。

今日は朝から転換出るのか。

昨日、お米を炊くのがめんどくさくて、仕掛けていなかったので、お弁当用のご飯がたけてない。
洗い物して、お米炊いて、卵焼き作って…ってやりたくない。すごく体がだるいから、あまり動きたくない。

一旦やめて、とりあえず洗濯物を干した。
洗濯は干さないとだめじゃん?

洗濯かごが重い。洗濯を干しつつ、体が思うように動かなくて、ゆっくりゆっくり干す。

今日から部活が再開するので、家に持ち帰っていたコントラバスを学校に持っていく娘。とにかくでかいので、誰かがドアを開けてやらないと外に持ち出せないわけで。

手伝って、見送って。

お弁当作ろうと思って、とりあえず、洗い物をした。
でも、それ以上が出来なくて、だるくてしんどくて。
夫に頼もうかなって思って、居間で寝てた。

起きてきた夫に発見され、心配される。
洗い物はしたんだね、お昼はラーメンにでもしようって言われる。

ほんとに体がだるくて、力もうまく入らなくて。

9時ごろかな~。体が軽くなってきて、起き上がっていられるようになって。転換が取れた。

ほんと不思議な病気よねぇ…

体がだるくなってきて、重くなってきて、力が入らなくなってくると、怖い。また動けなくなるのかな、とか思って。もちろん、時間が経ったら動くようになるのはわかっているので、そこは別に不安ではない。

ただ、やっぱり動けなくなるのは辛いし、心細くなる。
どうして動かなくなるの?って単純に疑問だし。理由を探したくなる。

いつ何時起こるかわからないし、外出先でなったら、例えば電車の中で、とか、そうなると、1,2時間は動けないので、終点まで行っちゃうよな、とか思って、電車乗るの怖い。

引きこもりに拍車がかかる。

解離も、日曜日、私が鈴さんだったときの記憶が無くなりそう。なんていうのかな、私はバックヤードに居るって感じで、見ていたし、感じていたから、記憶はあったんだけど、今はもう消えていってるっていうか。

健忘って言うけど、物忘れっぽく聞こえるかもだけど、なんていうのかな…本当に記憶がぽっかり消し飛ぶ感覚。覚えてないっていうより、記憶がなくなるっていう感覚。
まぁ、私記憶力もともと良くないから、いろんな事忘れるんだけどね。でも、解離性健忘はまじで消えて無くなる感じ。空白。

全く思い出せないこともしばしばだけど、後から思い出すこともあって、不思議。

解離も転換も生きてて不便なことが多くて、どっちも嫌。
なんでこんな病気になっちゃったんだろう。

躁鬱の症状として悪化するのなら理解できるんだけど、何も解離なんて新しい病気になる必要が全くないじゃないって思って。

私の頭や心は一体どういう仕組みになっているんだろう。不思議。

心の核

子供の頃、私の心には核があって、その周りは高い壁で覆われていて、例え親であっても、入らせないって思っていました。
小学校4年生ぐらいのときには、もうそういうふうな堅い意志を持っていました。

私の心は誰にも見せない。見せてなんてやるものかって思ってました。

その高い壁が大人になってなくなったと思っていたのですが、そうじゃなくて、その壁がどんどん大きくなって、ドームみたいになって、私ですら私の心の核を見ることができなくなっているんじゃないだろうかって、そんなことを考えていました。

花ちゃんが、可哀想な子、自分の感情さえわからない可哀想な子。私に聞いて、教えてあげるからって、言ってくれました。私を哀れんで泣いているようでした。

色々難しいんです。
小さい頃、両親は忙しくて、私にあまりかまけていられなかったみたいなんです。
私は幼稚園の頃には、人を騙すことをすでに知っていて、私は優等生で、正しい行いしか、大人が示す正しい行いしかしていませんでした。

心の核で思っていることを実行してしまうと、大人に叱られたり、がっかりさせることを知っていて、そんなことはしたくないと思っていたので、私は、優等生ヅラをしていました。

でも、それは、例えばいい子を演じていたとか、そういうことではなくて、いやまぁそうなんですけど、自ら望んでそうしていました。
例えば、いい子を演じなければ親に見捨てられるかもしれないという不安からそうしていたわけではありません。

自分の自由意志で、いい子を演じていました。

周りを見て、大人が望むことをして、親の望むように生き、私は私の心の核なんて、どうでもよかった。私さえ理解していれば、誰にも見られなくてもいいし、むしろ見せたくなんてなかった。

だから、私は、頭で理解したことで、心を抑えつけて、自分の感情をないがしろにして、そうして小さい頃からの積み重ねで今に至っています。

もともとそういう性格、考え方の持ち主だったんです。

それに、自分の気持ちを言葉に出して話すことがとても苦手でした。今もですが。

子供って、自分の感じている気持ちが、どういうものか、わからないんですよ。娘を育ててわかったことなんですが。
泣いている娘に、それは悲しいね、といったり、臍疝痛(さいせんつう)が出る娘に、明日は運動会楽しみだね!と言ったり、注射怖いね、とか。
一個ずつ、感じてる感情に名前をつけてあげるんです。

ちっちゃい頃、そうやって感情を言語化してやらないとだめなんです。

子供はそれで、これが悲しいっていう感情なのかって、理解していって、徐々に複雑になっていく感情を次第に自分で理解するようになります。

私は、そういう成長をしなかったんじゃないかと思うんです。
子供の頃ずっと感じていた、寂しいっていう感情に気づいたのはおとなになってからだし、あの頃、誰も何も、私にそれは寂しいという感情だよと、教えなかったです。

親が構ってくれなくて寂しいのなんて当たり前じゃないですか。
私は、周りの望むような答えを出し、安心させます。先生はそれを騙しているっていいました。私は騙していたんですね。
本心は寂しいのに、その感情が寂しいだなんて誰も教えてくれないからわからなくて、今日もいい子でお留守番してたよって言う。

あの時、今日もお留守番して寂しかったねって言ってくれてたら、もっと早くその感情に気づいていたかもしれません。

でも決して、両親が私のことがどうでもいいだとか、愛してないだとか、そういうことではないのも理解しています。
おそらく愛されていたんだろうなあと思います。大切にされていたと思います。

だから、色々難しいんです。

私に伝わらない愛し方は、正しかったのかな?とは思います。

両親のことは苦手です。愛してないと思います。これからも愛するつもりもないです。
でも、別に憎んだりしているわけではありません。育ててもらったり、大変な時に手助けしてもらったことは感謝してもしきれません。

毎年、父の日母の日はプレゼントを贈ります。
感謝の気持ちを込めて。

私が両親に頂いてる気持ちは複雑なんです。いっそ憎んだり恨んだりできるほうが、簡単かもしれません。
でもそうじゃなくて、ただ苦手なだけなんです。

一緒に居るとおかしくなるから、家を出ました。
鬱は中学のころから発症していました。その頃にはすでに限界だったんです。誰にも気づかれませんでしたが。
いつも死にたいと思っていて、死ぬ方法がわからなくて、生きてるっていう感じで。

就職で家を出て精神科にかかって一見悪化したように見えますけど、そうではないです。悪化する下地は極幼少期からあったんです。

遺伝のことはわかりませんが、脳の成長過程が上手くいってなくて、最終的に躁鬱を発症したんじゃないかなって思います。

流石に、娘の前では、両親のことが苦手だっていうオーラは出せません。娘にとっては大事なおじいちゃんおばあちゃんですからね。
親がストレスだなんて、口が裂けても言えません。
仲のいい親子のように朗らかに会話をします。

自分の心なんて一切見せること無く、ただ表面だけで、仲良く朗らかに。

誰のためでもない、娘のためです。

ま、体は正直なんで、蕁麻疹とかでますけどねw

そういうわけで、色々複雑なんです、私は。

スポンサードリンク


【ブログランキング】
ランキングに参加しました!下のバナーをクリックするとランキングが上がります。
応援クリックよろしくお願いします。


躁うつ病(双極性障害)ランキング

解離性障害ランキング

【Kindleで同人誌を出しました】

【LINEスタンプギャラリー】

 LINE   

猫舌さん@じゅんじゅん について

双極性障害と解離性同一性障害を患っています。
カテゴリー: 日々の出来事(2020) パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です